いわき市岩間町 3月22日 |
いわき市岩間町 3月22日 |
そのときは外で勤務中、やけに大きな揺れがずっと続くなと思いました。小学生たちを待機・避難させ、その後外にいたいろんな人と情報交換したり、Twitterなどで情報を収集して、とんでもない事態だったのだなと悟りました。
その日は、自分が率いている演劇の稽古がある日だったので、開催するかどうかもふくめて相談しようとしても、友人たちに電話もメールも通じません。結局中止に。いずれにせよ電車が動いてなかったし。
福島いわきにいる両親や兄にも連絡通じず。夜になって兄とつながり、無事を確認。不安ではあったものの疲れていたので、テレビを見ながら居眠り。次の日テレビやTwitterで、とてつもない津波だったことを知りました。
その後は、Twitterでいろんな人の安否確認や、福島県といわきの情報を仕入れるために奔走。
Twitterの記録から(抜粋)
2011年3月11日
福島いわきの兄貴から連絡あった。兄の家族無事だって。よかった。両親とはつながらないな。 posted at 17:59:48
福島いわきは今も頻繁に余震が続いているようです。両親と連絡がとれてひとまず安心。 posted at 19:40:16
地震後の対応多すぎてかなり疲れた。 posted at 20:40:37
福島いわきは今も頻繁に余震が続いているようです。両親と連絡がとれてひとまず安心。 posted at 19:40:16
地震後の対応多すぎてかなり疲れた。 posted at 20:40:37
3月12日
実家は福島いわき南部ですが、津波被害もあったよう。小学校・中学校の学区内で床上まで浸水もしくは流されたのがあったらしい。泳いだり遊んだりした砂浜を越えて津波が押し寄せたかと思うと怖い。友人の家も低地にあるし、大丈夫かな。断水なので、明日、水をもらいに行かなければと母親が言ってた。 posted at 23:10:06
祖母と親戚家族は南相馬市なので、原発の避難範囲20キロに含まれた。公的な施設に避難していたというので、きっと移動したと思う。いわきから助けに行きたいけど、原発2つを突っ切る形になるので無理だと母親が言っていた。いわき南部だって安心できない。 posted at 23:15:47
3月13日
いわき情報 #iwaki RT @yuiyasu: @tomogram 漁港付近はコンテナやトラックが転がってた。アクアマリンやららミュウはダメ。産業道路から漁港前もなんとか通れた。津波の被害は、想ったほどでは無かった。長崎と江名が酷いらしい。 posted at 01:55:49
四倉は国道6号線より海側は地震、津波によりほぼ全家屋で浸水の被害。漁船が国道に乗り上げている。今井製パン付近、四倉商店街付近、四倉高校前のローソンも水浸し。家屋の倒壊は殆ど無い。ブルボン付近の津波被害の程度は不明。久之浜、波立あたりは被害甚大。 #iwaki posted at 19:39:00
【いわき情報。母親から。金山町・小浜町・植田町】 メールも電話も不通で連絡手段がありません。本当に不便です。小浜に行って、地震津波の爪跡はひどいものです。私の知人、佐糠の人も植田の人も避難していました。予震が続くので家が倒れてこないかと心配だと言うのです。 #iwaki posted at 21:49:56
いわき市永崎 3月23日 |
このときのいわきは原発の危機で、ほとんど人がいませんでした。みんな避難しているか、家にいるか避難所にいるかで。
食料危機もありましたね。スーパーなどに食料が入ってこない。3月終わりまでそんな状態が続きました。
3月21日にいわきに入ったぼくは、兄の家に宿泊しながら被災地を撮影しに毎日出かけました。
断水のために水くみ、車のためにガソリン待ちなどいろんなことを経験しました。
Twitterの記録から
3月22日
そんなこんなで4月に入って東京に戻りました。
その後のいわき市岩間町の様子を載せておきましょう。
毎回、帰省したときに、定点観測として同じ地点から写真を撮り続けようと決意しました。
いわき市岩間町 5月5日 |
いわき市岩間町 8月15日 |
いわき市岩間町 12月31日 |
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