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6月, 2009の投稿を表示しています

空からオタマジャクシ

自分の人生をふりかえると、誰にでも懐かしい音楽があるはずだ。CDの棚をのぞいていたら、大学時代に聞いたヴァン・モリソンのCDがあったので、さっきからくりかえし流している。当時の心象や風景が脳を刺激している。あのときあんな思いでこの曲を聴いていたな。 ヴァン・モリソンの「ASTRAL WEEKS」はいいアルバムだよ。心の奥を揺さぶるような歌もさることながら、伴奏するアコースティック楽器が低くうねりながらジャズの雰囲気をかもし出す。大学時代はこのCDを宝物のようにしていたっけ。何度も何度もくりかえし聴いていた、眠るときの子守歌にもした。 失恋のときは決まってテーマソングを選び慰めてもらっていた。いくつもの失恋ソングがあることやら。思いおこせばこっけいな習慣だったかもしれない。しみじみとするためにわざわざ電源をつけて、CDをセットして、再生して・リピートして。そんな状態だからこそ音楽のひとつひとつの音や歌に震えるほど感動したものだ。 体が動いていれば水を欲するように、音楽をほしくなるときもあるものだ。日曜の夜はとりわけ音楽が心にしみる。周囲の静けさがそうさせるのだろうか。古い友人に会ったかのように、懐かしい曲を聴いている。あいかわらず、みずみずしい姿で旧友は心を洗い流してくれる。 音楽の趣味がぴったりあう人はいない。しかし、人が自分の好きな音楽を楽しそうに語ることほど、こちらを幸福にさせることはない。ことばが音楽のように響いてくるから不思議なものだ。音楽をめぐる単語の多くにはイメージが息づいていると思う。音符のオタマジャクシ♪でさえも生きているかのようだ。 今夜は幸せだったかもしれない。旧友が変わらぬ歌声をきかせてくれたし、懐かしい心象が遠い過去から訪れてくれたので。怪奇現象にはしたくないが、今夜は空からオタマジャクシが降ってきてくれた。

ささやかな誓い

宮城野の稽古が大詰めをむかえている。謎解きのように登場人物の行動をほぐしてきたが、すべてが明らかになっているわけではない。同じように、実生活においても身近に接している人への理解すら十分とはいえない。心を通わせることも難しい。 見知らぬ人と接する機会に、お互いが感じよくなれることもあれば、敵意むき出しのこともある。あかの他人を装おうとして距離をおく場合が一番多いかもしれない。こちらが好意的に接しても無反応な場合ほど悲しいものはない。すれ違いを重ねるうちに、自分もすれっからしになるものだから悪循環である。 いつも感じの良い反応をしてくれる人がいるが、そんな人には全面の尊敬をささげたい。人間的なふくよかさ・豊かさが、心を慰め温かい気持ちにさせる。自分をかえりみるとよく分かる。どれほど環境や気分に左右されていることか。恥ずかしいくらいだ。 フランス語の「sympathique(サンパティック)」ということばに初めて接したときは衝撃だった。人間の柔和な態度をほめることばとして使われていた。「感じのよい」「心地よい」といった意味だ。人の魅力をうまく言い表していると感心した。 しかめっつらや無関心、かしこまった態度や横柄な態度は簡単にできる。しかし感じの良い態度はやろうとしてできるものでもない。妙になれなれしい態度や心のこもってない笑顔は、かえって警戒を与えてしまう。 感じよく接することが難しいなら、感じよく接してきてくれる人に素直に従えばよいのでは。“sympathique”には「共感しあう」という意味もある。柔らかさを与えてくれる人に接するときはこちらも柔らかくならなければならないというわけだ。赤ちゃん相手に力むほど惨めなことはない。自分のなかで力が入る部分、きっとエゴイズムの部分なのだろうが、そういうところを武装解除しようと緩やかな誓いをたてている。

情熱をもつ

別府史之さんという自転車選手が自戒をこめた語り口調でブログに書いていた。クールになりすぎた、情熱をもつことを日々の生活で忘れかけていたという趣旨だった。一生懸命がんばる毎日で、好奇心などを失っていたという。自分に欠けていたものは「情熱」だと。 折しもジロでディルーカが鬼のような執念を見せ、それに呼応してファンが熱狂的に沿道で応援する姿をかいまみて、何か美しいものに触れたような気がした。ジロの一陣の風が吹き去り、取り残されたこの日常にぽかんと大きな穴を感じた。それはこの日常が空虚だからではなく、熱いもの・情熱的なものが手元を離れたからだろう。 がむしゃらに突進し、毎日を精いっぱい生きることも重要だ。しかしそのような日々に慣れて、余暇を楽しむ感覚や感受性を働かせる機会を逃してしまうのはもったいない。美しい景色を前に無感動になっている自分に気づくほど腹立たしいことはない。 これからの毎日を初々しく生きてみようなどというのは無理なスローガンだが、風化していた生活の一断面を活性化させることはできそうだ。「事務的」におこなっていたことを「人間的」に直せないか。あいさつや歩き方から始まって、趣味や仕事にまで拡大できるのではないか。 「事務的」ということほど、それを受けたときにざらついた気になるものはない。当人は無意識に悪意もなくおこなっているぶん、余計むなしい。手紙でのやりとりや実際に対面しているときも表れる。顔見知りなのに知らないふりをされて戸惑ったこともあったっけ。 別府選手のブログをたまたま見つけ、情熱をもつことへの美しい自覚の瞬間を目の当たりにし、ディルーカの神がかった気迫を見るにつけ、今の生活のなかで、重要な部分を錆びつかせてはいけないなと痛切に思うようになった。偶然か、きょうみた夢で、兄がしおれた植物に水をやって必死に再生しようと試みていた。

ジロ・デ・イタリア2009

ジロ・デ・イタリアはメンショフ総合優勝で幕を閉じた。休息日も入れて23日間、総合優勝やステージ勝利の争いはもちろん、コースをめぐっての主催側との葛藤や、チーム内やチームを超えた人間ドラマを見ることができた。 サッカーのW杯や野球の世界大会、オリンピックなどの注目度にくらべ、自転車ロードレースが日本の大手メディアに取り上げられることは少ない。ジロの場合でも、ジロが始まった・アームストロングが落車した・メンショフ総合優勝で終わった、その3つの記事ぐらいだろうか。とりわけ2つ目の落車は話題にするのもためらわれるほど軽いものだった。 ジロはチーム競技の優勝争いが20日間以上も行われるわけで、毎日マラソンをするとか、毎日駅伝をするとかいう耐久戦なので、考えてみれば尋常でない競技だなとつくづく思う。しかもイタリア全土を順に回って開かれるので、日本でいえば、鹿児島で始まって、広島や大阪、長野や新潟も通り、最終的に東京でゴールするようなスポーツの一大イベントなのだ。 自転車ロードレース、とりわけグランツールと称される20日間以上にも及ぶレースは、それを見終わったあとの虚無感も大きなものだ。グランツールが終わるたびに旅愁をかきたてられるのは、ぼくだけではあるまい。テレビで観戦している私たちや路上で応援している観客だけでなく、選手のほうこそ疲労や緊張で今ごろボロボロの状態なのかもしれない。 選手やチーム、主催者、報道関係者などをふくめた何百人もの集団がイタリア中を旅しながらレースをする。地元の人たちが全選手を応援し、「ティフォジ」と呼ばれるファンが熱狂する。ディルーカの気迫やメンショフの雄叫びだけでなく、アシストの選手・スタッフの働きや挙動にも見るべきものが多かった。 テレビでゲスト解説をしていた片山右京さんも言っていたが、熱いものがこみあげてくるジロだった。