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9月, 2007の投稿を表示しています

神は死んだか?

今朝は久しぶりの早起きで6時には起きている。時間が長くて、やっぱり早起きはいいものなのだなと実感。それが毎日できれば・・・毎日できれば・・・とチェーホフの『三人姉妹』のように願いをかけたいぐらいだな。 先日、20歳の若い友人と話をしたのだが、彼はニーチェの超人思想に心酔している風情があり、自分の人生の重大な転機を失望で終わったたために、「神は死んだ」と言うのであった。ぼくからみれば、まったくささいなことを重大視しているように見えて、それはそれで共感はできるのだけれど、簡単に結論づけてはほしくないなと感じたものだ。 たしかに分かるんだな、ぼくなんてもっとひどかったかもしれない。 はじめて東京に出てきて、兄と一緒に不動産屋で物件を探していたのだが、18くらいのぼくにはそれが何か汚いことをしているようで、たまらなくベソをかいてしまったのだ。そのときはいたく心に響いたものだ。 ぼくが大学を卒業して、ようやく自分の殻の外に意識を向けられるゆとりをもったとき、5,6歳の歳の差の友人たちとぼくの差がこんなにも大きいのかと愕然としたことがある。ぼくは何も知らない、何もできない。たった、5,6歳の違いがこんなであることは、老人と比べてみたら、若い者は何も持っていないようなものだ。そこで自分の結論・判断というのも、無知だからこそ強く主張できるのではないかなんて考えたりもした。 多かれ少なかれ、どんな人もこのような人生を送るのじゃないのかな?自分が通ってきた道だからこそ、後の世代に寛容になれる。たしかに「いまどきの若い者は・・・」と皮肉な目をもつのも分かるが、ある意味、そんな苦言は甘い追憶から出てきているもので、敵意をもつまでに後代を憎むのは間違っている。寛容にならなければ。 というわけで「神は死んだ」というニーチェの苦闘の人生のつぶやきを、若い人が安易に利用しようが、それは笑ってユーモアで消化してあげないといけない。名言・格言にすがりたくなるのは、若い人だけに限らないし、どんなに若くても、幼少でも、その考えは、それなりに真理だから。 そんな悪戦苦闘している若者が、その次の日には前日に言った言動とはまるっきり反対のことを嬉々と行うのをたまに見かけるが、それは健康なことなんだな。そんな健康さが必要なのかもしれない。軽薄であるぐらいの健康さ。 いやあ、なんだか、お

舞台とテレビと

今日は手短に書く。 どうして舞台のテレビ中継はおもしろくないのだろうか?というより、今テレビで流されている『錦繍 KINSHU』、見ていられないほどのひどさなんだけど、なぜ? 有名な役者も出ているが、こんなに非人間的な演技をしていていいのかしら?なんて思うほど。棒読みじゃない。完全に形式的、型にはまった演技、言ってみれば退廃的な演技。人間がいやしない・・・ あまり過激に書きすぎると、またまた敵を作るから控えめにしようと思うが、おもしろくないものを見て、さるぐつわをはめなければいけないのはつらい。というより、テレビでやっているから余計に落胆するのかもな。いい舞台はたまにあるのだけど、テレビにのせられることはない。 いやあ、今もNHK教育でやっているのだが、見てられんなあ、聞いてられんなあ。鹿賀丈史、余貴美子両氏が演技をすべて台詞のデクラメーション(朗誦)で処理している。音楽も節操ないし。苦笑でござんす・・・ やめよう。 俳優養成所の芝居も見ることがあるが、そこには、技術や経験の欠如はあっても、人間が無意識ににじみでるから、ぼくはそっちのほうが好きだ。試みに、ある俳優養成所の公演をテレビでオンエアしてみるといい。そのほうがおもしろかったりしてね。

月夜の利左衛門

『西鶴置土産』を読んだ。井原西鶴の本と、真山青果が戯曲化した本の両方を。 そのなかの一篇、「人には棒振虫同然に思われ」で、利左衛門は女郎を身請けしてからのちは、貧乏ぐらしをしながら生活を送っている。女郎に大金を投げるようにして使っていた昔とくらべ、現在は子供の服の替えがないほどの極貧の暮らしをしながら、親子三人で暮らしている。そんな利左衛門が昔の遊び友達に見つかり、見栄を張って彼らを家に呼んだ。むかし太夫だった女房も見栄を張って貧乏を誇りにし、利左と女房はその昔友達たちの金銭の援助も断り、あくる日には利左と女房と子どもの三人は家を出て行く。そんなお話。 井原西鶴の研究者の熊谷孝は、西鶴の世代を逃亡世代と名付ける。民衆としての人間回復を志向し、精神の自由を守るために封建体制の枠から逃げる人たち。逃亡することで、自己の存在証明をする人たち。西鶴はその逃げる人たちに、人間性回復と自分たちの世代のあるべき姿を発見したという。 『お夏清十郎』のふたりももちろん逃げたし、昨日書いた兵庫の男女も逃げた。西鶴のほかの作品の人物たちも逃げる。トリュフォーの『大人は分かってくれない』の少年も逃げた。漱石の『門』の宗助と御米も逃げた。西鶴や近松や溝口の暦屋おさんも逃げた。 利左衛門の逃亡はどんな逃亡なのだろうか? まずは、女郎遊びをしていた利左衛門が遊びでなく恋をして、女郎を身請けするところにひとつの道の選択がある。『お夏清十郎』の清十郎にはそれができなかった。この道は破滅の道である。というのは利左衛門と恋をした太夫は当代のトップの女郎であり、その身請けの金額はとてつもないから。手元に残ったお金はないどころか、借金だらけだろう。そんな道を選択したのだ。 そして昔友達に憐憫を受けた後の逃亡。西鶴はその昔友達が道楽をやめてしまった教訓として書いていて、利左衛門の逃亡そのもは描いていない。真山青果は利左衛門の逃亡は見栄を張る嘘の世界を離れて、正直に生きるために稼ぎに行く結末としている。 利左衛門の逃亡は、心機一転巻きなおしということなのかもしれない。昔友達から逃れようとしたわけでなく、今までの生活からの脱却。大尽が女郎を買う買われるの浮世の世界から離れて堅気になった二人であるが、昔友達に会ってみると、二人ともそんな浮世の垢がまだこびりついている。そこからの脱却。

かけおち

複雑な事件が起こった。といって、なにも事件自体が複雑なのではない。いたって単純な事件だ。それを受け止めるぼくの心が複雑なだけだ。 ご存知だろうか?兵庫県の男性(24歳)が女性(13歳)を連れ回したというタイトルでニュースになった事件である。連れ回したというが、実際は女性の家出とともに、ふたりで一緒に暮らすために東京に出てきていたところを補導されたというわけだ。男性は逮捕である。犯罪はといえば、未成年の女性を連れ回したかららしい。言葉使いの不自然さは置いておくにしても、ふたりは結婚を反対されたらしく、いわばかけおちのかたちで故郷を飛び出して行ったのだ。 なんでぼくがその事件を複雑に思うかというと、ま、グルッポ・テアトロで公演をやるために、『お夏清十郎』に取り組んでいるのだが、その話はまさしくかけおちの話。お夏と清十郎がかけおちをして、捕まって、清十郎が処刑されるのだ。そんな話にかかりきりだから、かけおちという言葉に敏感になる。そして今回の事件もひとりが捕まった、お夏清十郎の物語と同じ、女性をかどわかした罪によって。そして、同じ兵庫県から抜け出してきたということにも偶然を感じた。 いってみれば、この事件をニュースで見たときに、偶然の出会いに喜んだのだ。現代でもかけおちは確かにあるのだと。 しかし、今回の事件でふたりが捕まって、男性が逮捕されたということに腑が落ちないので、複雑な気持ちになるのだ。くわしい事情は知らない、二人の人物像も知らない、しかし、かけおちが現代でもひとつの犯罪の名を着せられて、処罰されるところにいい気持ちはしないのだ。 現代ではさまざまなかたちの犯罪があり、殺人やら、暴力やら、詐欺、窃盗、横領、性犯罪など、事件が多く勃発している。これらの犯罪に並べられて、この事件が、同じ夕方のニュースに出るところに、何か恐ろしい道徳心の押し付けを感じるのはぼくだけだろうか?少なくとも、この二人は同意のかけおちなのだ。そこに単なる家出以上の愛情が混ざっていることも、気がかりのひとつなのだ。まあ、逮捕という事実を伝えたのかもしれないが、このニュースを人々がどう受け取るかが問題だと思う。ぼくは、少なくともこのふたりは、人間とその心に傷をつける行為はしていない限り、たとえゲームセンターで遊んでいるところを補導されたとしても、一般の犯罪と同列にしてはいけないと

人間関係

演劇を見ていて一番いいなあと思うのは、そこに人間の生きざまが見えること、世界とそのとらえ方を見せてくれることなのだが、それにもまして、ある人間関係が変遷を経て回復することが大きいと思う。結末が大円団になるにせよ、破滅的な死で終わるにせよ、また次の日に続いていくようなものであるにせよ、劇の終わりは必ず解決がある。失った、もしくは断絶された人間関係がそれなりの決着をみる。そこに一種の安堵感があるのだ。まあ、ドラマなんだから必ず終わりらしきものはあるだろうといわれればそれまでなんだが・・・ 劇のはじめの平衡状態が山場を経て、また違った平衡状態になる。はじめの平衡状態はぷつりぷつりと人間関係の糸がほころびをみせており、その糸がおもいっきり引っ張られ解体されて、また新たな人間関係の緊張をもつ。 映画を観ても思うのだが、たとえばモディリアニの映画なんかがそうだが、モディそのものの人物像には映画で発見するものはない。たいてい伝記で読むほうがおもしろく想像している。ただし、モディを取り巻く人々と彼の関係、彼の敵と彼の関係というものは、本で読んでも実感が湧かないし、だいいち一方的な見方であったりする。 この「人間関係」というものが俳優芸術の特権であり、それを表現するには俳優の演技を見るしかないと思うのだがどうであろう?演劇や映画やバレエなど、またオペラもそうだが、この芸術の構成要素のひとつが、その「人間関係」なのだと思う。生身の人間の存在だけでは物足りない。その人間の存在が他者とどのようなかかわり方をしていくかに、人は興味を持つのではないか? 演劇はコミュニケーションの芸術だといわれる。俳優と観客が世界を共有する場。また問いかけに応じる場。昔から劇場は社交場のようなものだ。すべてに開かれていなければいけないのだろう。だから、山ごもりとか、修行とか、秘密の稽古などというものは、演劇にそぐわない。少なくとも二人以上で、ひとりが問いかければ他が答えてくるような距離で創造するものなのだ。 自戒もこめていうのだが、一緒に稽古をしながらも、個人事業主としての個人主義を貫いて、心の交流をしないままに本番を迎えるのはよくないことだと思う。めいめいが勝手に自分の職責を果たせばいいのではない、演劇の世界ではアンサンブルといういい言葉があるように、共同で、しかもお互いがコミュニケートし

お夏清十郎と逃走

ドゥルーズとガタリの共著、『千のプラトー』を読み、それに関する参考書などを読んで、少しくらいかじっただけで、さも知り尽くしているかのように書くのは嫌いだが、ぼくには少しそんな要素もあり、さも知っているかのように、声を小さく、また少人数にだけ、ボロがでないように、そして自分の言葉を使って言い直すことにする。というより、日ごろ思っていたことが、ドゥルーズたちの本の後押しを受け、形にできたというべきか。 言いたいことは、真山青果の書いた『お夏清十郎』についての考えだ。あらすじを説明するのは面倒くさいから、気ままに書いてしまうが、真山版『お夏清十郎』の中には、さまざまな闘争が隠されている。そして語呂合わせではないが、その闘争の手段としての逃走も。 言ってみれば、この話は、ドゥルーズ流に言うなら、集団化・官僚組織化・ファッショ化・帰属化・抑圧・抑制・蓄積・定住化に向かう偏執型(パラノイア)と、逃走・自由・遊牧・脱領土化・解放に向かう分裂型(スキソフレニー)の戦いなのではないか? わかりやすく、戯曲に即していうと、資本の安定を求め個人を制御していく者と、その考えから逃れようと必死にあがく者との戦い。体制側と反体制。 端的にいえば、九右衛門とお夏の戦いに代表されるのだが、その図式は戯曲を読めば中心に書かれているのでここではおいておく。 反体制側は面と向かって戦うことはしない。面と向かって豪商の主人に歯向かえば、法律で罰せられてしまう。そこで、逃げる。逃げ道を用意する。まあ、お夏と清十郎が駈け落ちしたことがその代表例ではあるが、ほかにもある。 まず与茂七は、番頭の身分ながらアヴァンギャルドである。お夏に恋をしたために、家を出奔したり、清十郎に「そんなに一生懸命働いてどうする?」といってみたり、しまいには主人に「もう一度出直しなさい」と進言したり。 お亀も恋のために、もうこの商店では働かないことを決めたり、清十郎の処刑後にお夏に怨みを言いに詰め寄ったりする。 このふたりが、抑圧する者にたいして、身体で異議を唱えたことが、お夏と清十郎の駈け落ちのきっかけとなる。 また、体制側に属しながらも、半分身をかわしている者もいる。 久七はお夏をこきおろしているし、卯之吉は若年であることもありお夏たちに同情を隠せない。乳母は自分の職務以外には顔を突っ込まない。

ひとの声、自分の声

ここ最近は、近くで工事もなく、音楽もかけず、周囲でいろいろなつぶやきをする人もいなく、自分でひとりごとを言う習慣からも解放されたせいか、また、窓を開放しているせいでもあるか、虫の鳴き声が聞こえるようになった。とはいっても、田舎にいたときには、蛙の鳴き声や、夜に走る電車の音が遠くから聞こえてきたりして、その情緒には勝てないが、ここ東京の世田谷でも、季節の移り変わりとともに虫の鳴き声も変わってきている。単に、セミの声が聞こえなく、キリギリスなんだろうな、キーキーうるさい。こちらの気分も変わるのだからおもしろい。 隣の家から聞こえてくる音、電車などで隣に座った人たちの話し声を聞くのは楽しみであったりする。また、自分が話をしていても、隣から聞こえてくる話に耳をかたむけてしまうこともある。まあ、お隣で熱心に話している内容というものは興味が尽きないもので、その熱心さに好奇心が湧くのかもしれない。他愛もない会話というものは聞き逃すのに、そういった熱のこもった会話にはつい引き込まれてしまうものだ。 自分が喋らずに、聞いていることが多いほど、周囲の世界を感じることが多いのだろう。そんな沈黙を貫ければいいのだが、必ずしもそれが実行できるとは限らない。沈黙に耐えられないのではなく、沈黙することが許されない。たとえば、教師が沈黙した授業をすることは許されなく、被告人には許されても検察も弁護人も黙秘することは許されない。 こんな立場にたつと、自分の声しか耳に入ってこないか、自分に都合のいい声だけしか選ばなくなる可能性がある。 ある部分では活発に声を出しながら、またある部分では人の意見に耳を傾けるのは難しいことではある。しかも、人の発する意見というのはたいていがためになるものである。その両立をめざしたいものだが、 ああ、今夜のキリギリスの鳴き声はほんと美しいなあ・・・というわけで、おやすみ

あいさつ

ここ数日、もしくはずっと前から気になっていることがある。非常に島国的なことなのかもしれないが、人とのあいさつのことである。 学校のときでも、仕事のときも、演劇の現場でも、生活の現場でも、あいさつは潤滑油のように人間関係を滑らかに流れさせる。あいさつがきちんとできる子どもは、やはりなんと言っても好印象ですがすがしい。決してマイナスになることはない。あるべきところにあいさつがないと、???と思ってしまい、そこから変な想像が発展していく。子どもに限らない。 もともとぼくはあいさつができるともできないともいえなくて、結構人を見てあいさつをするのだが、それだから、人があいさつをする・しないに接すると、いろいろ考えてしまうのである。 気を使うのは目上の人に対するあいさつ。しかも自分の利害が絡む人には、媚を売るようで気が引ける。それだから結構損をしているところもあって、ぼくが目上のその人を無視すると、次回からその人はぼくを無視し始めるのだ。それを見ていて面白がってしまうんだな。あ、あの人、俺に気づいていながら、曲がり角曲がったな。知らないふりしていやがらあ。 案外、目上の人で過去にほんの少ししかご一緒しなかった人でも、目下の人のことを覚えているものなのだ。 だからぼくはまた最近、自分からあいさつをしに行くことに決めたのだ。 逆に、自分と同世代か、自分より下の世代の人を相手にするときも、できるだけ自分からあいさつに行くのだが、面倒くさくもある。非常にせこせこした考えなのだが、なんで向こうからはあいさつにこないんだろう?と思ってしまい、向こうからやって来るまで待とうなんて思うんだな。ひねくれているのは重々承知だ。これと同じ考え方をする人が多いのは知っている。 いやあ、こんな小さいことが気になってしまうのは小さい人間だなとは思いながら、感じて思っていることには違いなく、そうした微妙な人間関係に気を使いながら生活をしなければならないのは避けられないなとも思う。 いろいろと人間関係が変化していくのは仕方ないことだが、数ヶ月前まで結構仲がよかったと思っていた人が数人、複雑な顔をしてぼくとあいさつをかわす。ぼくの側で変化はないのだが・・・なぜだ?・・・笑うしかない・・・笑っている場合じゃないか?・・・

詩(その5)

もうここらへんで詩について書くのはやめようと思う。詩を書いていたときはそれが日課のように取り組んでいたのだが、書かなくなると、再び思い出したようにペンを取っても、勘を取り戻すのに時間がかかる。楽器をやるにしても、詩や小説を書くにしても、毎日継続することによって可能になるものがあるのだな。書かなくなって8〜9年になったのに、なぜ今頃持ち出したのか?それは謎である・・・ 小説や詩や戯曲を読んでいて、なぜだかわからないが、ある部分にくると突然文章の宝が豊かに流れ出すことがある。作者も乗りに乗って書き綴るのだろうか、緊張感もリズムも見事につながっている。 たとえば井原西鶴の『好色五人女』のなかのお夏清十郎のくだり。話の結末を語り、しめくくるときの西鶴の筆は感傷味を帯びながら淀みなく流れる。 近松門左衛門の『曽根崎心中』の道行の場面なんかは文章も情感も流れるように続いていく。 昨日書いたキーツのオードのうちのひとつ『ギリシャ古甕のうた』も同じように情感の盛り上がりがある。 『ギリシャ古甕のうた』より おまえは いまも穢れのない静寂の花嫁 沈黙と 緩やかな「時」の歩みに育てられた子ども われらの詩よりも さらにうるわしい花の物語を このように語り伝える 森の物語詩 テンペの楽土や アルカディアの谷間に住む 神々や人間の あるいは神人の 草の葉に縁どられた どんな物語が おまえの甕に描かれているだろう これは どんな人と神であろう また どんな恥じらい多い少女たちであろう どんな狂おしい求愛が また その愛を拒む どんな抗いがあろう どんな笛や どんな鼓が また どんな烈しい法悦があろう (J.キーツ、出口保夫訳) このあと詩も高揚してくる。キーツといはいえ、すべての詩に高揚があるわけでなく、そんな高揚した詩は稀なことなのかもしれない。しかし、詩人はそのような奔流のように流れるものを求めて、日々書き綴っているのかもしれない。演劇にしても同じように、なぜだか突然流れ出る勢いを意識的に作り出しているのかもしれない。 次の詩は、そんな奔流のような情感はないのだが、作って、何度も何度も推敲・書き直ししているときは、緊張感が持続していた記憶がある。 『ドミノ』 まるで こどものように 希望のドミノを並べるが いくら注意をしても

詩(その4)

もう意地をはっているかのように詩について書き綴っているのだが、しばらく詩から離れていたので、いろいろと思い起こすこと、再確認することが多くて楽しいわ。 19世紀、英国の詩人ジョン・キーツの詩は、大学時代によく読んでいた。その生きざま、そして残された詩の完成度から、忘れられない。といっても一字一句憶えているわけでないのがミソで、しかも英語で憶えているわけでもないところがうさん臭くはある。しかし、いくつかのオード、ソネットには、耽溺して、寝ても覚めてもその詩のイメージを思い浮かべていた。 思うに、抒情詩を読み聞きするときに根本にあるのは、共感ということではないか?どれだけ奇抜であろうと、どれだけ前衛的であろうと、どれだけ情感にあふれていても、読み聞きする側がそれを好み・愛さない限りその抒情詩は心に残ることはない。非常に個人的な環境・その時期の状況などによって、抒情詩が琴線にふれるかふれないかは変わってくる。詩と受け手の実人生が幸福な結婚をするときに、詩は俄然色彩豊かになってくる。 キーツの詩、キーツの人生にぼくの人生が重なっていたのだろうな、当時は。キーツといえば「美は真であり、真は美である」と言い切り、ぼくはそれに酔いしれていたのかもしれない。美しくあるためには外見を飾るのではない、中身を豊かにしていくことが必要だ。滑稽なことにいろいろなものに美を見出そうとしていた。今日の夕日はとてもきれいだったが、当時のぼくはそんな夕日に涙も流していたのかもしれない・・・ハハハ・・・ 思わず追憶に浸ってしまった。恥ずかしい。 ま、そんな時期に作った詩をひとつ。 (無題) こどもの頃に許せなかった 酒の匂いと浮かれ騒ぎを いまはみずからすすんで求め あんなに嫌な裏切りさえも 頭を下げて謝られれば 顔を上げてと言わねばならぬ ぼくが嫌ってはねつけていた あの習慣も この欲求も あの考えも この人間も すべてを許し 苦い顔して 肩の震えを抑えたときに いったい ぼくの生とはなにか

詩(その3)

恋をすればだれでも詩人になるとは、よく言われることで、恋愛詩は詩の中の花形であるということはぼくの思い込みだろうか?それほど、恋愛は重要で美化したいものであることは確かだ。恋をして善良にならなければそれは恋ではなく、また、詩に意地悪の入る余地はない。恋愛詩は善良で素直であるからこそ、苦痛を歌ったり、豊かな喜びを歌うのであろう。同じく恋をする人は、意地悪くなれないからこそ相手の懐に身をまかせる覚悟があるのだろう。 数多くの詩人が愛を歌い、愛しか歌ってないかのように思えるのは決して不幸ではない。ハイネが砂浜に夕日の筆で「あなたを愛する」と書くのも、ダンテが恋人を天国に連れていくのも、サッフォーががけから飛び降りるのも、みな現実に恋をし、恋を表現することで決着をつけたのであった。 これらの作者は詩を書くことで死を免れたのかもしれない。実際、人間はいつまでも感情のくすぶりのなかでは生きられない。それから逃げるか、否定するか、決着をつけるかしなければ・・・ 俳優の卵は自分が悲しくて泣いたときも、その感情を記憶しようと意識が働くし、もしかして泣いているときもふと鏡でチェックしているかもしれない。恋愛をして、詩人として詩を書き続けている人も、もちろんそんな意識が働いているに違いない。自分の熱烈な経験を、詩をかく材料にする、それは少しも不純でない。かえって詩になったからこそその恋愛が意味を持ったのかもしれない。 個々の恋愛はたいしたものでなくとも、それを昇華させた恋愛詩には価値がある。 こんなぼくも恋愛をして、それを詩にした。ぼくの恋愛はどうでもいいことだが、残った詩は何十年か後に自分で振り返ることもできるし、ぼくという固有名詞をはずして考えることができる。実際、今、苦々しく読んでいるのだから。考えが未熟でも、表現が幼稚でも、それなりの自分がいたことは確認できる。そんなのでいいのかもしれないな。 『ざれごと』 やけに落ち着く 外は雨 思いはすぐにあの人にとぶ 今日は何をしているか そしてわたしは何をすべきか やさしい顔が目に浮かぶ あのときこんな話をしたな あんな相づちうたないで そっと好きだと言えたはずだが また繰り返し日が沈む ためらいでない 待っているのだ 恋が私に腕を貸し 不純な汚れを消し終わるまで

詩(その2)

やけに詩づいているというわけでもないが、せっかく詩のことを書いたから、調子にのって(?)続けてみたい。 まあ、そんなに詳しくはないし、系統立てて勉強したわけでもないので、好きな詩人には偏りがあるのかもしれない。翻訳の詩も同等にみなすので、翻訳のときは詩の音楽的な要素をぼくは考えていないのかもしれない。 物語詩というものを追求したことがあった。書き始めてかなり初期の頃だ。プーシキンやハイネ、ゲーテ、シラー、バイロンなどを読んだ。ホメロスの『イーリアス』もそういうわけだし、シェイクスピアの劇だっていってみればそういうわけだ。物語を詩で語る、詩の音楽的な響きの規制のもとで、物語を綴っていくということに興味を覚えた。そしてかなりの大作ができたんだな。その当時も今も、この作品には思いいれがあり、物語は陳腐だし表現は拙いが、何度も何度も推敲し手直しを加えたこともあって、その当時のぼくのレベルでは完成度は高いと自負している。でも、ここには公表しな〜い!! そして12行詩というのにも凝った。なぜ12行なのかは知らないが、シェイクスピアのソネットしかり、ハイネや立原道造もしかり。抒情詩があまりくどくもなく、俳句・短歌のように短すぎもなくという、ベストな長さで読みやすかったし、憶えやすいのかもしれないな。12行を3,3,3,3で割るとか、4,4,4でわるとか、4,4,2,2で割るとか融通もきくし。 ぼくの詩をひとつ。というか、人の詩をそのまま載せるのは著作権などで問題なんだよね?自分のだったらかまわないわけさ。 松尾芭蕉もこんな雑文にはさんで俳句を披露したっけな。 (無題) 怒りでふりあげた右手が 次第に抑えられなくなり そのうち容赦しなくなり きれいに思えたものにまでふりおろされた 何でも捨てたゴミ箱が 楽しんだおもちゃでいっぱいになり そのうち昔の手紙があふれだし いとしく思えた愛情まで見つけだされた ぼくがぼくをとがめる心は 今までもずっと無力で いつまでも無力なままで とうの日にどこかに置き忘れたかと思っていた

今日は念願の部屋掃除をした。 まあ待ちに待つのはいいのだけど、別に待たなくてもいいからさ。部屋はちらかっていて、これ以上足の踏み場ができるかというぐらいだったのだから。要は放り投げておいたというわけだ。 それを今日は思い切って・・・ 部屋掃除をするとうれしいのは、きれいになることはもちろんだが、なくしたものが見つかることが大きい。ま、部屋掃除ぐらいで人生で失ってしまったものを見つけるわけにはいかないが、それに近いことはまれにある。 なくしてしまっていたわけではないが、棚の上に置いたまま放置されて久しい、ぼくが以前書き溜めていた詩の書類に気がとまり、読み直してみた。 それを書いていたのは22,3歳のときで、何を思って書いたのかは今でもはっきり憶えているし、かなり本格的に意図して書いていたのだが、今読むと気恥ずかしい。しかし、そんな恥ずかしさも超えて、ひとつの作品としてまた接してみると、新たな発見もあっておもしろい。 それらの詩からひとつ。 (無題) あまりに遅刻が多すぎて ぼくにはもはや席がない 恋愛にせよ 流行にせよ 職業にせよ 空いてる椅子が見つからない 廊下でバケツをもちながら ふと 人生をふりかえる 悲しみだけか 苦しみもまた 諦めまでも ぼくの両手をふさいでいる ようやく許され 教室に 説教されつつ入れられる 友達もいて 好きな子もいて ストーブもある それでもやっぱり席がない

都合のよい考え方

最近はあまり読んでいないが、人の伝記を読むのが好きだったりする。モーツァルトやロダン、夏目漱石もちょっと、ルイ・ジュヴェ、滝沢馬琴なんかも、ワフタンゴフ、ブレヒト、真山青果。 学生の頃からときたま読んではいたが、今の読み方とは違う。高校生のときなんか、その人物の青年時代しか興味がなかったが、今は、少年時代などには興味はなく、その人が成し遂げた偉業なり成果なり作品なりを作る過程にものすごく興味がある。 たとえば、ジャン・ルノワール。彼の少年時代・青年時代や老年期は、それなりの魅力はあるが感銘はない。しかし、彼が豊かに活動していた時期の映画作品にはわくわくするのである。ルノワールの場合、デビューも若すぎず、老年期には活動を休止するので時代区分がはっきりするのだが、そんな彼の黄金時代の名作群は思うだけでうきうきするものだ。 お夏清十郎の公演の勉強・視察のために姫路に行ってきたのだが、そこで入手したお夏の生涯の伝説は十通り以上あっておもしろかった。姫路市内を駆け回った、お寺に入り尼さんになった、小豆島に嫁に行った、備前片山で茶屋を開いた、室津で入水した、姫路で井戸に身投げした、和歌山に行った話もあったな。まあ、実際は分からないことが多く、後代の人がその人なりの都合のいい解釈をしたのだろう。伝説はそのようにして伝えられていく。 話好きなおばさんたちの口にかかると、ぼくは学生であったり、テレビに出ていたり、本を書いていたり、ときたま重病だったりもする。事実がどうというより、話だけが先走ってしまう。それはそれでいい。 結局、都合の良い考え方、解釈、読み方をするものなのだな。嫉妬なんていうのも、本人には都合の悪いことだが、考え方自体は、都合よく自分勝手にありもしないことを想像するのだから似たようなものだ。 溝口健二も言ったらしい。 「事実を知ったうえで嘘や誇張をするのは許される」

火事を探す三人の消防士

ピランデッロの『作者を探す六人の登場人物』じゃないが、火事をさがす三人の消防士を見てしまった。 上野駅でバイトだったのだが、今夜はボヤ騒ぎがあり、はじめ警察官三人が目の前を通りすぎた。何かあったなと思ったのだが、まもなくして外が騒がしくなり消防士が三人通り過ぎた。 のはずだったが、なにかおかしい。通り過ぎたはずの消防士が店の前をうろうろ行ったり来たりしているのだ。携帯電話で誰かと連絡をとっているのだが、彼らはいっこうに現場に向かわない。決して偽者ではない、きちんと重装備をしている本物の消防士なのだ。まあ、指示を出す人の指示待ちなのだが、なぜか緊迫感もなにもない。俺たちはどうすりゃいいの?といった感じだ。 ま、ほんとささいなボヤ騒ぎで、当人たちも広い駅の中を暑苦しそうな姿で動き回るわけにもいくまい。 会話の中身も聞こえてきた。先頭のベテラン消防士が「おれのあとをきちんとついて来いよ」といって向かおうとするのだが、うしろの中堅の二人の消防士は距離をとってベテランの後をついていかない。ベテランがあっちに行こうと指差せば、中堅二人は反対の方向に行きたがっている。結局、火元がどこだかわからないのだな。半分、ガセネタなのかと疑っているのかもしれない。 そんなこんなで、悠長に火事を探してうろうろしていた三人の消防士は、いつのまにか消えていた。賞味五分。緊迫感のない火事だからだろうか、さっそうと外から登場してきた三人の消防士は、火事を探して上野駅のなかでうろうろしていたわけだ。背中の酸素ボンベらしいものも、こけおどしだったようだ。 こんな状況、戯曲に書いたらおもしろそうだな。別役実あたりがおもしろく書きそうだ。 おもしろいものを見させてもらった。楽しい火事だったようだ。