その瞬間、舞台と観客席は一体となって、ファルスタッフを河の中に落とした。まさしく共犯的な笑いを浮かべて、喜んで拍手喝采した。今夜の新国立劇場でのオペラ公演『ファルスタッフ』での出来事だ。 舞台の観劇が多くても、こういった瞬間は必ずしも多くないもので、だからこそ、今夜それと出会えたのが嬉しかった。 J.ミラーも、この作品を4度演出しているようで、作品を手馴れた扱いをしていたと思う。余裕をもって演出しているようで、その余裕がファルスタッフの体をきつい衣装に包まなかった。遊びがいたるところに散りばめられ、その小細工を思い出すだけでも楽しい気持ちになる。舞台が細部の楽しげな印象とともに記憶に残るのは、演劇の幸福な体験だ。感覚的に目に残像として残るだけでなく、語ってみたい気持ちになるほどのかわいさをもった舞台のきれはし。 それが見事にはまったのが、冒頭にあげたファルスタッフを河に投げ込む場面だ。 舞台美術もからくりのようでおもしろかった。ただし、最終幕の森の中の美術はおおざっぱすぎて機能を果たしていない気がするが。 特に、二幕のフォード邸の装置は、いろいろな仕掛けや場面が集約されていて空間がすんなりと意識に入ってくるほど秀逸だったと思う。 一幕の二場のアリーチェとナンネッタの二重唱はとても美しかった。ナンネッタ役中村恵理のソプラノはまるでハーモニーのように透き通って聞こえたから不思議だ。普通、ソプラノがキンキン高い音で耳障りにも自己主張する印象がぼくのなかにはあって、あまりソプラノを好きでないのだが、ここでの中村の歌は心の琴線を確かにとらえた。カーテンコールでもひときわ拍手が大きかったのが彼女だった。納得のいく話である。 ほんと良いものを見せてもらったという感じだ。ミラーの演出はくっきりと輪郭があって、豊富な発見の機会を提供してくれたし、オーケストラ・指揮も音楽で演出をしっかりしていたと思う。演技と音楽が表裏一体のように結びついていたのが驚きだった。ヴェルディのスコアやボイドの台本のできばえもあるのだろうが、ひとつひとつの行動に音楽が寄り添う印象があり、だからこそ、場面に輪郭がはっきり浮き出ていたのだろう。この公演は成功だと思う。 といって、不明瞭なところ、これはどうかと思ったところを書かないと、賛辞だけになってしまうので、言っておく。3幕のラスト、